2001年01月20日

西運動場のはなし

1951年(昭和26)の頃、現在の西運動場の土地が売却されるということで、校舎不足に悩んでいた小学校としては、なんとしても学校用地にしなければと、団地建設を計画していた大阪府や知事に対し、PTAが中心となり、何回も陳情をおこないました。
 
遂に1953年(昭和28)、団地予定地を他の土地と交換することになり、本校の校地となりました。

また、1954年(昭和29)には、大阪でははじめてといわれているプールが完成します。
この時も造成費用の捻出など、PTAの皆さんの活躍により自力で造ることができました。

IMG.jpg

1956年(昭和31)、修養室として「晴樟館」が寄贈されました。庭園の中の茶室は、とても風情があったそうです。

晴明丘小学校の校地が現在の面積になったのは、1961年(昭和36)で

1980年{昭和55)、その晴樟館のあと地に、80周年記念事業として「フィールドアスレチック」や「木かげの広場」をつくりました。
木の丸太やロープを使った10ヶ所の固定遊具があり、楽しく遊びながら体力作りができ、子どもたちの完成が響きわたっていました。

posted by engei at 00:00| Comment(0) | 活動報告
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